「偶像としての」自分のアイドル

 今週のお題「私のアイドル」

 

 自分のアイドルは「アイドルマスターシンデレラガールズ」(以下デレマス)に登場する北条加蓮佐久間まゆ城ヶ崎美嘉櫻井桃華三船美優の5人だ。自分がこの5人を選んだ理由は、彼女たちが自身の定義における「偶像としての」アイドルに当てはまるからだが、以下ではその論拠について具体的に説明していきたい。

 

 そもそもアイドルの語源である英単語の idol には、(信仰の対象としての)「偶像」という意味がある。もちろんこの事実だけで「アイドル=偶像」と見なすことは禁物だが、それが偶像たり得るアイドルの出現を全面的に妨げるわけでもない。自分もアイドルにはなるべくそうした側面を求めたいタイプの人間であるため、ここでは前述した偶像としてのアイドルに必要な条件を検討してみよう。

 

 この際にぜひ参考にしたいのが、一昨年にちょっとした話題となった、女性まゆP(プロデューサー)が投稿した匿名ダイアリーからの一文だ。

 好きなキャラクターはたくさんいても、私に応えてくれる、私の信仰を受容してくれる、私が信じるに値する女の子はフィクションの世界において佐久間まゆ以外だれもいなくなっていた。

 これはあくまでも個人的な見解に過ぎないが、自分は上記の

  • 信仰を受容してくれる
  • 信じる(=信仰)に値する

 という2点がアイドルを偶像に昇華させる要因ではないかと考えている。ただし前者に関してはその実質的な効果をより明確にするために、もう少し詳細な分析を試みておきたい。

 

 まず1つ目に、デレマスでは各アイドルと個人的な関係を結ぶと同時に、その大多数から好意を寄せられる(≒信仰が受容される素地がある)傾向が顕著だ。これが現実のアイドルならば普通は私的に知り合うだけでも既に難題であり、自分が三次元よりも二次元のアイドルに重点を置きやすい原因の1つとなっている。仮にある特定のアイドルと単なるファン以上の関係性を築いたところで、肝心の本人が自発的に分を弁える意識を常に持っていなければ、最悪の場合には冨田真由氏の惨劇を繰り返す危険性も生じるだろう。

 

 2つ目に信仰の受容それ自体がある種の包容力に転化され、そのアイドルを信仰する価値が一定レベル増加することだ。しかしこれは信仰を受容するから包容力があるのか、あるいは包容力があるから自分の信仰を受け入れてくれると思いたくなるのかという「鶏が先か、卵が先か」問題に陥りかねない。従ってこの記事ではあまり深入りはせず、信仰を受容し得る能力(=包容力)が信仰の一要素に繋がる旨を提示するに留めたい。

 

 このように信仰を受容してくれる点はそれ単体で強い影響力を誇る一方、信仰に値するか否かを容易に軽視できないことも同様に事実だ。例えばデレマスアイドルの赤城みりあは11歳という幼さに反してその包容力が高く評価されているが、残念ながら個人的にはそれだけで彼女に信仰を捧げるまでには至らない。やはりアイドルを偶像へと祭り上げるためには、両者のどちらが欠けていても不十分なのだ。

 

 大分前置きが長くなったが、それでは冒頭で紹介した5人がこの2つの要件に合致するのかを実際に確かめていこう。前者の包容力においては5人全員がそれらしき描写を見せており、分かりやすいものでは

  • 加蓮:「都合のいい女は嫌いだが、そうならない自信がない」という発言(「Love∞Destiny」特訓エピソード)
  • まゆ:プロデューサーのためなら何でもすることを示す言動の数々
  • 美嘉:姉及びカリスマギャルとしての責任感や面倒見の良さ
  • 桃華:ノブレス・オブリージュを意識した言動とソロ曲(ラヴィアンローズ)の歌詞
  • 美優:自主性の乏しさや流されやすさに苦しんだ経験からくる優しさ

 辺りが挙げられる。更にこの5人は相当にプロデューサーを慕っているため、他のアイドルと比較しても信仰を受容する素地はかなり大きいと予想されよう。

 

 また後者については美優以外の4人に完璧主義的な傾向が窺われ、彼女たちの高い向上心が計り知れる。その証拠としては

  • 加蓮:初ライブ前夜の無茶な追加練習が祟りライブ終了時に気絶(メモリアルコミュ4)
  • まゆ:「もっと可愛く……もっと可愛く……」(ルーム内での台詞)
  • 美嘉:自身に課した日常的にハードなスケジュールや自主レッスン(「Twin☆くるっ★テール」第1・4話)
  • 桃華:12歳にして常にレディとして振る舞おうとする言動や姿勢

 をそれぞれ紹介しておきたい。残る美優に関しては5人の中で唯一自分よりも年長であるため、恐らくは彼女が放つ母性に強く惹かれた結果なのだろう。そして最後に忘れてはならないことだが、この5人の外見が可愛さと美しさの両方を兼ね備えている(=守備範囲が広い)点も、個人的な評価に一役買っていると思われる。

 

 以上で、5人が自分の定義における偶像としてのアイドルに該当する理由の説明としたい。結果的には随分と気持ち悪い文章になってしまった気もするが、書くべきことはしっかりと書いたためこれで良しとしておこう。

 

当ブログの内容

 当ブログでは、記事のジャンルは「自己・嗜好・思想・思索・その他」の5つに大別される。このうち「その他」を除いた前者4つは、それぞれ説明欄にある「自分のこと(自己)・好きなもの(嗜好)・信じるもの(思想)・考えたこと(思索)」に対応する形だ。以下ではこれら4項目と「その他」の大まかな内容について、適宜例を挙げながら解説していこう。

 

  • 自己

 主に自分の性質・能力・来歴などを紹介する。例えば自分と他者の文章作法を主題に執筆する場合、前者は自身の能力の一端であるため「自己」に、後者はその問題点を考察するため「思索」に分類されることとなる。

 

  • 嗜好

 主に自分の好きなキャラや人物、ものを語る。「趣味」ではなく「嗜好」と銘打っているのは、自分がある特定のジャンル全体(≒趣味として括られる範囲)ではなく、その中の一部対象(=嗜好のレベル)に強い興味を持ちやすいためだ。一方で全般的な題材を取り扱った際には、その都度「思索」に振り分けることになるだろう。

 

  • 思想

 主に自分の読書録や、何らかの思想に関する自身の考えを綴る。ここに読書録を含めているのは、自分なりに読む本を厳選していると同時に、そのいずれもが自身の思想に少なからず影響を与えているからに他ならない。

 

  • 思索

 自分が注目したあらゆる事柄に対する、自身の考察を提示する。「思索」という抽象的な名前からも分かる通り、前述の3項目に入らない記事の受け皿、あるいは何でもありな逃げの部分として用意されている面が大きい。

 

  • その他

 上記4項目のいずれにも該当しない記事を纏める。

 

 以上の分類はあくまでもざっくりとしたものであるため、個々の記事単位では更に下位項目を設けることが予想される。当ブログではこの上位・下位項目の組み合わせにより、内容の体系化を地道に目指したい。

 

当ブログの運営方針

 ブログはその設計上、一定頻度の更新を目安とした媒体だ。しかし当ブログはその名前が示すように、自分の思考及び思想を体系(=システム)化しようと試みるものであるため、ブログ本来の性質に反してなるべく更新ペースを意識しない運営に努める方針だ。その理由について、簡単にではあるが以下に述べておきたい。

 

 1つは、体系化と更新が相反する概念である点だ。本と新聞を比較すれば分かりやすいが、前者はそれ単体である程度完成した(=体系化された)コンテンツだ。一方で新たな情報を追加する際には纏まった分量の続刊を出す必要があるため、継続性(≒更新性能)に乏しいのは明らかである。対する後者は継続することそれ自体に存在価値がある反面、積極的な意味でコンテンツとして完成する時は決して訪れないと言えよう。従って当ブログが体系化を目指す以上、更新ペースを無暗に気にするのは悪手に他ならない。

 

 ここからもう1つの理由が導き出せる。自分は今までにブログを4,5回立ち上げては放棄する行為を繰り返してきたが、その原因はいずれも「○○日までに記事を更新しなければならない」という内面のプレッシャーに懲りもせず屈した点にある。ならばその枷を取り除けば万事解決……とは全く思わない(むしろ十中八九同じことをやらかすと自分では想定している)が、それによって多少なりとも執筆時の心理的な負担が減れば充分だと見なすべきだろう。

 

 上記2点の理由から、当ブログにおいては更新頻度の低さあるいは不規則性が高確率で予想され得る。もしそれを踏まえた上で購読を検討するという方がいらっしゃるのであれば、自分としては幸甚の至りだ。